森羅万象から学ぶ人生羅針盤「何者でもない自分に気付く」
2022.07.02
森羅万象から学ぶ人生羅針盤「何者でもない自分に気付く」
以前、禅宗の考え方の1つに「無功徳」をご案内しました。禅の行為は無心のもので、けっして果報をあてにしないということ(精選版 日本国語大辞典より抜粋・要約)で、中国禅宗の開祖・達磨大師が、梁(りょう)の武帝(ぶてい)に会った際の有名な逸話が元になっています。
武帝は、仏教に対する信仰心が篤く、多くの寺院を建立するなど仏教の保護・普及に努めていました。そして、自分の行いにどんな功徳があるのかを達磨大師に尋ねたのですが、大師は「無功徳です。何もありません」と答えたのです。
そして、このエピソードには続きがあります。武帝は達磨大師にそもそも仏教の本質とは何かを尋ねるのです。それに対して大師は「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えます。廓然とは大空のからりと晴れあがったさまで、大悟の境地を形容した仏語です。禅における公案(問答)の1つで、絶対に不変である真如界は、凡人と聖人とのはっきりした区別などがないということを指しているのです(精選版 日本国語大辞典より抜粋・要約)。
しかし、凡人と聖人とのはっきりした区別などはないと言われて、ますます分からなくなった武帝は、大師に対して「ならばあなたは何者なのですか?」と尋ねます。すると大師は「不識(ふしき)」、つまり知らないと答えたのです。それは、「人は本来、何者でもない」という人間の普遍性に立脚した答えなのです。
立派な肩書や社会的立場などは、一時的な評価どころか単なる状態に過ぎません。また、第三者がその肩書の価値を認めてくれるとは限らないのです。つまり、本来は何者でもない自分に気付くことではじめて、余計な呪縛から解放され本当の自分を知ることができるのです。
まさに、独りよがりな価値観を捨て、立ち止まって自分を見つめることで、自分の本質を知ることができると肝に銘じておきましょう。
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