森羅万象から学ぶ羅針盤「真に道徳的な人とは」
2020.10.15
森羅万象から学ぶ羅針盤「真に道徳的な人とは」
哲学者・ニーチェは「道徳的なふるまいをする人が、本当に道徳的であるとは限らない」としています。
それは、道徳という概念に服従しているだけの可能性があるからです。
つまり、世間体を確保するために、自分では何も考えずに、あえて道徳に従っているだけなのかもしれないからです。
他人から良く思われたいという気持ちから道徳的であろうとしている可能性もあります。
また、無力であるがゆえのあきらめや、単に面倒くさいだけという理由から、道徳的にふるまっていることもあります。
もし、この人の態度、行動が、死ぬまで道徳的であったらどうでしょうか。
道徳を、法律などのような社会規範としてとらえるならば、道徳を実践しているだけで、道徳的なのでしょう。
例えていうなら、道路交通法なんか守りたくないと心底思っていても、死ぬまで、違反を1回もしなければ、それは道交法順守者の鑑であるのです。
また、論語を知らぬ人が、論語の考えを無意識に実践すれば、それは論語を理解していることと同じように、道徳を理解しているのと同じなのではないかという解釈もできます。
しかし、道徳という概念は、単なる社会規範ではなく、その態度・行動に加え、あくまで内面にまで及ぶものであるのならどうでしょうか。
となれば、逆に、やることなすこと道徳的であるにも拘わらず、心の底まで不道徳な人は、偽物として評価されるのかもしれません。
道徳的な人物とは、その見かけだけでは、本物かどうか見分けることができないのです。
しかし、一つだけはっきりしていることは、真に道徳的な人は、無人島で独りぼっちになったとしても、変わらず道徳的であるでしょう。
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