いかに生きるべきか──命の使い道を探して
2025.10.05
いかに生きるべきか──命の使い道を探して
静かな朝、ふと「いかに生きるべきか」と問いかけてみる。 その答えは、いつも一つではない。立志を掲げた日から、人生は動き始め、縁と経験の中で少しずつ形を変えていく。
最近、娘が里帰り出産で孫たちを連れてきた。4歳と2歳の男の子。毎日がにぎやかで、泣いたり笑ったり、けんかしたり──まるで命の音が家中に響いているようだ。 うるさいけれど、それが正常。五感をフルに使って遊びまわる姿は、正直で、ありのままで、元気そのもの。そんな孫たちの姿に、私は教わる。命とは、こうしてまっすぐに生きることなのだと。
「思い立ったが吉日」──この言葉が好きだ。考えすぎず、まず動く。行動の中にこそ、命の使い道が見つかる。 漠然とした日常の中で、ふと「アッ!」と気づく瞬間がある。それは、誰かの笑顔だったり、孫の一言だったり、静かな祈りの時間だったりする。
使命とは、命を何に使うかという問いへの答え。 それは、頭で考えるだけでは見つからない。動き、感じ、出会い、迷いながらも進む中で、少しずつ浮かび上がってくるものだ。
孫たちの笑い声に包まれながら、私は今日も命の使い方を探している。 それは、誰かのために祈ることかもしれないし、静かに見守ることかもしれない。 でも確かなのは、命は「今ここ」にあるということ。過去でも未来でもなく、今日という一日に、命を込めて生きること。
それが、私の「いかに生きるべきか」への答えだ。
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