【志を貫くということ】――人生第七ステージに入って思う、謙虚と精進の意味――
2026.01.21
【志を貫くということ】
――人生第七ステージに入って思う、謙虚と精進の意味――
「謙虚にして驕らず、さらに努力を」
京セラ創業者・稲盛和夫氏のこの言葉に出会ったとき、私は胸の奥に、静かで確かな熱が灯るのを感じた。
若い頃なら、きっと「志を高く掲げよ」という言葉に心を奮い立たせただろう。
しかし今は違う。
人生第七ステージに立った今、この言葉は「どう生き切るか」を静かに問いかけてくる。
思えば、志を立てることは難しくない。
だが、志を貫き続けることは、人生の後半に入ってからの方が、むしろ難しい。
体力は衰え、思うようにいかぬことも増える。
若い頃のように、気力だけで押し切れる場面は、確実に少なくなる。
そんなときこそ、私の心に浮かぶのが、あの一句である。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」
本当に実った人間ほど、静かで、柔らかく、低い。
人の上に立つ立場にあるからこそ、なお一層、稲穂のように頭を垂れていたいと思う。
志は高く掲げる。
しかし、足元はどこまでも低く、堅実でありたい。
それが、長い人生を歩いてきて、ようやく腑に落ちた実感である。
志を貫く姿勢には、いくつもの言葉がある。
初志貫徹──志を立てたその日から、どんな逆風にも屈せず進む覚悟。
初志一貫──時代や環境に流されず、志を抱き続ける静かな胆力。
首尾一貫──始まりと終わりを貫く、ぶれない人生の軸。
首尾貫徹──思い描いた道を、最後まで歩き切る実践の力。
どれも似た言葉でありながら、そこには人生の各段階の姿が映っている。
そして今の私は、「最後まで歩き切る」という言葉の重みを、かつてより深く感じている。
私は二度、命の淵に立った。
その体験を経て、「成功すること」よりも、「どう生き続けるか」「どう生き切るか」の方が、はるかに尊いと知った。
だからこそ思う。
志とは、掲げるものではない。
育て、守り、そして静かに貫き続けるものなのだと。
そのために必要なのは、特別な才能でも、派手な実績でもない。
必要なのは、
謙虚であり続ける心
今日一日を誠実に生きる姿勢
そして、それを明日も繰り返す覚悟
ただ、それだけである。
人生第七ステージとは、
何かを「得る」時代ではなく、
何を「遺し」「どう在るか」を問われる時代なのだと思う。
今日もまた、心を整え、言葉を整え、行動を整える。
それが、私の「精進の型」であり、
残された人生を、誇りをもって歩くための、ささやかで、しかし確かな修行なのである。
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